西暦 和年号 年齢
(満)
月日 小川トク・井上伝・久留米 日本・世界
トク
1645 藩、庶民の絹着用禁止。
1762 宝暦12 林田正助(手津屋)、誕生。
1786 天明06 有馬頼貴による増税始まる。 老中田沼意次失脚。
1787 天明07 諸国大飢饉。
百姓休日定める
1788 天明08 00 11.29 町方・在方に衣服・髪飾り等倹約令。
12.29 井上(旧姓平山)伝生誕。 老中松平定信就任。
1789 寛政01 01 久留米商人=和泉屋・福童屋・唐津屋・塩屋・帯屋・木屋・中島屋(藩に献上)
1790 寛政02 02 富安忠四郎右衛門、酒造業開始。
1793 寛政05 05 高山彦九郎、櫛原で自刃。
1799 寛政11 11 09.18 田中久重、通町10丁目商家に誕生。 英、綿糸紡績を中心に革命
1800 寛政12 12 伝、かすり模様を発見。
紺屋佐助が援助。
本村、織屋を起業。(先代かも?)
1802 享和02 14 おでんかすり」、領内に知れ渡る。
1803 享和03 15 国産菜種大阪回送、手津屋の一手請負となる。
北野大庄屋上滝茂吉、玉藍製造。
岡野源次、砂糖きび栽培と砂糖製造。
榎津田上嘉作、大川指物改良。
竹野郡竹下周直、「松山櫨」発見。
小郡内山伊吉、「伊吉櫨」生産と生蝋。
1804 文化01 16 本村庄兵衛、かすり生産に着手。
伝、本村の工場で子女に伝授。
1806 文化03 18 伝、京ノ隈の松田家に年季奉公。 衣服等の倹約・質素令。
5月 大塚太蔵、出生。
1808 文化05 20 平山伝、井上と結婚。21女。
1812 文化09 24 03.10 牛島能之(のし)、誕生
有馬頼貴死去
1813 文化10 25 田中久重に、絵がすり器械を注文。
1816 文化13 28 夫次八、死去。通外町に転居。
1818 文政01 30 江戸上屋敷に水天宮遷座。
1819 文政02 31 田中久重、五穀神社でからくり興行。
1822 文政05 34 井上伝、有馬頼永の乳母に。
金毘羅詣で。伊豫の鍵屋カナと関わり、「伊豫かすり」開発。
田中久重一家、大坂へ。
久留米藩人口、175,018人
1825 文政08 37 櫛原の鳥取文吾、寺子屋始める。
1826 文政09 38 高橋新五郎、足利から高機導入。
1828 文政11 40 百姓一揆多発。
1829 文政12 41 井上伝の弟子400人に。
1832 天保02 44 天保の大飢饉。一揆・打ち壊し。死者10万人。
1834 天保04 46 田中久重、大坂に移住。
1836 天保06 48 諸国飢饉。死者10万人。
1837 天保08 49 田中久重、伏見で無尽灯発明。 大塩平八郎の乱。
1839 天保10 51 00 12.01 小川トク、武蔵国春岡村宮ヶ谷塔で誕生
大塚大蔵、絵絣の新案発明。
1868 天保13 03 小川トク、両親と死別。
祖父母に育てられる。
1843 天保14 55 04 宗野末吉誕生。
第九代有馬頼徳、質素倹約令布告。
1844 弘化01 56 05 父善五郎・母チエ相次いで死亡。 有馬頼永、大倹約令。
8月 長崎にオランダ船。
井上伝、孫の宮参り用に四つ目柄考案。
1846 弘化03 58 07 牛島ノシ、国武絣を考案。 米東インド艦隊浦賀入港
10.12 有馬頼咸、18歳で11代藩主に。
国武喜次郎、生誕。
1847 弘化04 59 08 通町の手津屋支店、解体。
1850 嘉永03 62 11 有馬頼咸、正室精姫と婚儀
倉田雲平、米屋町で生まれる。
田中久重、万年時計完成。
1852 嘉永06 64 13 田中久重、関白鷹司政通より【日本第一細工師】称号受ける。
1853 嘉永06 65 14 6月 ペリー、浦賀に入港。
直後にロシア使節も来航
鎖国・開国の論議深まる。
1854 安政01 66 15 磯野卯右衛門、和傘5千本をオランダ売る ぺりー軍艦再度浦賀に来航
幕府、日米和親条約を締結
次いで、日露和親条約締結
オランダ・イギリスも締結
1856 安政03 巡業力士に作ったかすりが人気呼ぶ。(小野川・伊達の海)
1857 安政04 9月 安政の大獄
1858 安政05 70 19 小川トク、養子をもらって結婚。 大老伊井直弼、米下田総領事
と日米修好通商条約締結。
伝、上野町(大善寺)と山隈村(小郡)に出張教授。

1859 安政06 71 20 横浜・長崎・函館で貿易開始
輸出:生糸・茶・蚕卵紙。
輸入:毛織物・綿織物
農村の綿作を圧迫する。
1860 万延01 72 21 長男栄三郎誕生。直後、単身江戸へ。久留米藩士戸田家に女中奉公。 3月、桜田門外の変
本村庄兵衛、通町に「木綿織物商店」を開業する。
庄兵衛、伝に技術の進歩を促す。
1862 文久02 74 23 久留米藩主に滞京警護の命。 1月 坂下門外の変。
4月 寺田屋事件。
1863 文久03 75 24 04月 国武喜次郎(17)かすり販売業を開始。 徳川慶喜、京都の主導権握る
1864 元治01 76 25 久留米かすり、国産品に指定。
福童屋半兵衛、元締。
この時期、漢字の「絣」使用。 久留米十二軒屋に江戸屋敷完成。
藩、久留米絣の下級藩士・町人への普及を図る。 真木和泉ら、天王山で自刃
藩、軍艦(蒸気船)を購入
6月 池田屋事件
1866 慶応02 78 27 04.03 田中久重、佐賀を引き揚げ、通町10丁目に製造所。 坂本竜馬の斡旋で薩長連合
田中久重、久留米に帰還。
今井栄・田中久重ら、上海に渡航。
1867 慶応03 79 28 11月、久留米藩、千歳丸を購入。 7月、江戸を東京へ。
国武、絣の販路を広げる。 10月、大政奉還。
1868 慶応04
明治01
80 29 05.05
06.25
トク、江戸出立。
トク、久留米到着。
1.4      戊辰戦争起こる。
01.26 尊攘派24人が、参政不破美作を暗殺。 3月 神仏分離令。
04.10 江戸定居の藩士300人余り最後の帰国。 7.17 江戸を東京と改称。
国武、屋号を「魚喜」とし販路山口・長崎へ拡大。 9.8       明治改元。
1869 明治02 81 30 久留米絣生産高6万反。
2.末 祇園寺、藩命で祭神を建速素盞鳴命に改める。社名も素盞鳴神社に。
04.26 井上伝死去(数え年齢82歳)「釋尼聞忍信女」。国分村野中に埋葬。
5.18、戊辰戦争終結。
12.25東京・横浜間に電信開通
01.24 今井栄ら9人に屠腹。
0207 藩主、版籍奉還の上表。
02.22 神仏分離令により高良山など廃止。
06.17 藩主有馬頼咸が久留米藩知事に。
川崎峰次郎、通町3丁目に漆器具店開業。
1870 明治03 31 04.10 中島屋、藩艦千歳丸で沿岸貿易に出帆。 9月 平民の苗字使用許可。
10.08 中島屋、福岡藩偽札事件連座で捕まる。 12月、横浜毎日新聞創刊。
倉田雲平、足袋製作修行のため長崎へ。
1871 明治04 32 03.13 藩難事件で藩士22人が捕縛。 10月、衣服の自由
07.14 筑後は久留米・柳川・三池県となる。 7月、廃藩置県
11.14 筑後3県廃し、三潴県に。三潴県初代知事に水原久雄(05.1.22就任) 3月、東京~大坂郵便開始。
12.03 藩難事件で小河真文ら総勢50人に重罪。 文明開化の波起こる。
12.25 櫛原村に士族授産の養豚業「協救社」設立。
1872 明治05 33 トク、田中久重に揚げ框器械を注文。
久留米での長機の始まり。
絣の藩統制撤廃。
国武喜次郎、久留米絣の京都市場開拓 1月、柳川城全焼。
01. 原古賀に三潴県下郵便取扱所開設。 11/8.太陽暦採用。24時間制とし
12/3を6年1月1日とする。
06.24 三潴県産物会社設立。 9月、新橋-横浜、鉄道開通。
9月 山本平四郎、原古賀に牛豚店開業。
10月 山本平四郎、原古賀に西洋料理店。
10月 城下諸御門の取り壊し。町出口に町屋建つ
1873 明治06 34 1月 宗野末吉、原古賀で時計屋開業。 6月 筑前竹槍一揆。
04.17 日吉小学校設立。

10.24       征韓論で西郷・副島・後藤・板垣・江藤ら下野。

6月 城下諸廓小路を町名に改める。
7月 戸数3920、人口2682人。
10.20 倉田雲平(23)、槌屋足袋店開業。
赤司喜次郎、赤司広楽園起こす。
中村勝次、呉服町に写真館。
石橋徳次郎、嶋屋に商売の見習。
野村生助、白山で活版印刷所開業。
田中久重、東京へ。
1874 明治07 35 2月、佐賀の乱。
1875 明治08 36 02.02 トク、娘浅乃誕生。 全国に小学校設立。
02.02 県庁、久留米絣の定尺を通達。
03月 佐賀-久留米-熊本、電信開通。
城の櫓・御殿・多門など解体終了。
1876 明治09 37 トク、日吉町に機屋を始める。
久留米縞を創製売り出す。
10月 秋月の乱。
本村庄兵衛、庄平に家督継ぐ。
08月 三潴県廃し、福岡県に。
10月 宮地の渡し廃止。
久留米絣、農村内部に定着。
1877 明治10 38 久留米は兵站基地となる。 2月 西南の役始まる。
師範学校、西南戦争軍団病院に。
絣、軍人の土産品として発展。
1878 明治11 39 大石平八郎、機屋を開業。
07.22 瀬下の貸し倉庫会社が会社組織に。
10月 森尾茂助ら、安積開拓に出発。
1879 明治12 40 国武喜次郎、宮庄村で染色行程と麻布織用の板締機械を久留米絣に摘要
堺紡績所、製品の大半を久留米絣原料糸(経糸)に提供。
1880 明治13 41 国武、正保証の商標を発行。
久留米絣の販売シェアを半数にまで広げる。篠山町に織工場建てる。

馬関・調布・船木・小郡・山口・萩などに絣の委託販売を始める。
「緑藍社」設立。織り元・染め元・販売元の分業化。
1881 明治14 42 国武、工場、417人・機台数420台。
下機に代わって、佐々織の佐々機導入。
紺屋町に写真館馬田家。
1883 明治16 44 赤松社、和傘生産・絣織立始める。
1884 明治17 45 久留米縞の年産6万反に達する。 久留米-熊本、国道開通。
国武、玉島紡績から原料糸購入。
石橋徳次郎、嶋屋の長女マツと結婚。
1885 明治18 46 川崎峰次郎ら籃胎漆器を試作。
米屋町に丸五料理店、翠香園開店。
櫛原町に翠香園開業。
1886 明治19 47 久留米絣同業組合結成。縞も加入。
古賀林次郎、伊予機を改良し、半機を完成する。かすりの伊予機採用。
1887 明治20 48 08.25 梅林寺内にトクの生前墓を建立。
久留米紡績会社設立。
槌屋足袋、革靴と馬具製造始める。
1888 明治21 49 国武、販路を中国・北海道に広げる 12月 牛島謹爾北米に。
川崎峰次郎、籃胎漆器を市場に出す。 市町村制公布
1889 明治22 50 4月 久留米市誕生。(県庁所在地外は九州で初)。人口2万4000人。 2月 大日本帝国憲法公布
7月 筑後川、歴史的大洪水。 7月 東海道線全通
国武、滋賀県宮庄村の板締機械を久留米絣に摘要。
川崎峰次郎、籠細工塗り売り出す。
12月 オッペケペー節、久留米に上陸。
1890 明治23 51

国武ら、組合内に「縞改良会」を設ける。

5月 府・県・郡制公布。
国武、松ヶ枝町に縞織り工場を建設
02.25 九州鉄道、博多-久留米開通
宗野末吉、風琴(オルガン)製作。
1891 明治24 52 トク、荘島町水道町に機屋開業。
33挺を揃える。絶頂期。
鉄道、久留米-高瀬開通 博多―門司も開通
久留米ツツジ、初めて世に知られる
1892 明治25 53 09.13 娘浅乃(18歳)死去。
石橋徳次郎、苧扱川で仕立物業始める。
1893 明治26 54 「久留米縞同業組合」130名で組織
縞年産、22万反に(工業視察紀要)
組合、染色講習所を設ける。
石橋徳次郎、お座敷足袋製造始める
1894 明治27 55 組合、トクに頌徳状を贈る。 8月 日清戦争始まる
03.16 私立久留米商業学校と改称。
つちや足袋店、ミシンの手回し2台と足踏み3台を購入。
1895 明治28 56 トク、鳥飼村白山に転居。
1896 明治29 57 久留米縞、福岡県重要物産同業組合の認可を受ける。
「久留米縞同業組合」結成。
4月 郡制施行で筑後は、山門・三池・三潴・八女・三井・浮羽の6郡に。
05.07 久留米簡易商業学校(久商)開校。 12月、瀬下-若津汽船運行
10月 本村庄平、赤松社絣工場を引き取り、会社組織に。
1897 明治30 58 国武、絣工場を裏町に建設・開業。
1898 明治31 59 久留米絣同業組合、井上伝子三十年祭と記念碑落成式。(11.13)
1899 明治32 60 5月 久留米絣同業組合、勢力争いのため重要輸出品同業組合法による改組が流れる。 国分村に陸軍歩兵第四十八連隊設置。
10月 久留米縞同業組合、重要輸出品同業組合法により改組する。
1900 明治33 61 02.26 国武商店、特許絣合名会社を白山に設ける。
12.15 宗野末吉死去。(57)、墓は梅林寺
1901 明治34 62 4月 トク、同業組合から年金36円贈られる。その後、月6円に増額。 2月 八幡製鉄所操業開始。
1902 明治35 63 04.28 湯浅寅之助編、久商同窓会誌で小川トクの功績を特集。 吉井-久留米、新県道開通
白山で8畳一間の生活。機織る。
1903 明治36 10月 吉井-田主丸、馬車鉄道開通。
1904 明治37 64 縞同業組合、染工所・製織試験場新築。 7.6       筑後馬車鉄道、善導寺-東久留米開通。
07.07 嶋屋、足袋をミシン縫いに。 2月 日露戦争始まる。
1905 明治38 65 つちや足袋店、倉田式織底機を発明 馬車鉄道、街を走る。
1906 明治39 石橋徳次郎、嶋屋を息子重太郎・正二郎に譲る。
通町本店を「本村郷名会社」に改組。
1907 明治40 66 石橋兄弟、「嶋屋」を「志まやたび」に改称。仕立てものを止める。 2月、久留米郵便局、電話交換開始。

久留米市内に電灯灯る。

ブラジル移民781人出発。
陸軍第十八師団設置。
1908 明治41 67 3月 縞同業組合、科学染料使用で紛糾。科学染料使用派は、組合を脱退し、「筑後改良織物組合」を設立。
久留米絣同業組合も、科学染料問題で勢力争い。
志まやたび店、荘島に工場建築し、機械生産開始。
1909 明治42 68 国武金太郎、巻転式絣糸括り機発明
3月 県が筑後改良織物組合に、板絣生産を許可。絣同業組合が、農商務大臣に取り消しを上申。
1910 明治43 69 3月 福岡日々新聞に「小川トク子去る」4日間連載。
トク、宮ヶ谷塔に帰る。
9月 縞同業組合、新染料部の新設。
1911 明治44 70 9月 赤司広楽園、「久留米ツツジ」名称 11月 陸軍特別大演習、久留米付近で挙行。
1913 大正02 72 トク、死去。
03.18 本村、国武両店員が客の取り合いで大乱闘。
06.04 絣同業組合、「千歳絣」と改称。
1917 大正06 4月 井上でん墓、徳雲寺に建立。

久留米絣同業組合世話人:国武金太郎顧問:国武喜次郎・本村庄平

1934 昭和09 久大線、久留米-大分開通
1941 昭和16 12月、太平洋戦争始まる。
1945 昭和20 8月、第2次世界大戦終結。

(注)*1 年齢は数え年

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